History 鹿六の歴史
Origin
鹿六の由来
約三代続いたといわれるうなぎ屋木下シカロク氏から屋号を買い取ったのが当店の起源です。当時、「志か六」という表記であったのを「鹿六」に変更し、営業を開始しました。現在でも新宮店には「志か六」時代の看板がそのまま残っています。
Shingu’s History
70年以上の歴史を
紡ぐ新宮店
紡ぐ新宮店
1946年に発生した南海大地震による火災で店舗が焼けてしまい、当時の店主(2代目)が新たに建設したのが現新宮店です。新宮店の建て替えを検討したこともありましたが、地元の皆様から「そのまま残してほしい」というあたたかいお声をいただきましたので、現在も形を変えることなく引き継がれています。
Unagi
佐藤春夫が
愛したうなぎ
愛したうなぎ
新宮出身の文人 佐藤春夫が当店に足繁く通っていたとされています。彼は大のうなぎ好きであったとされており、1956年発行の「あまカラ」という雑誌に「うなぎの話」という随筆を寄せており、そこで登場するうなぎ屋が当店と言われています。彼はいつも同じ部屋を使用し、「誰か尋ねてきてもいないと言ってくれ」とお願いされていたとのことです。新宮店から徒歩5分ほどの距離に佐藤春夫記念館もございますので、当店にお越しいただいた際には、ぜひあわせてお立ち寄りください。
「市に名代の鰻屋があって、朱塗りの浅い容器のなかに、
底には一面に山椒の若葉を敷いた上に蒲焼を置いたのが、
蓋をあけると先づ香気が鼻を打ち(中略)、
見た眼にも美しくて食慾をそそった」佐藤春夫「うなぎの話」
Haruo Sato
佐藤春夫
1892年、和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に生まれる。父の影響で文学に親しみ、小説「田園の憂鬱」など作品を次々に発表したことでたちまち新進流行作家となり、 芥川龍之介と並んで時代を担う二大作家と目される。著作は多様多彩で、詩歌や小説、戯曲、自伝、随筆、童話、外国児童文学翻訳などあらゆるジャンルにわたる。